日記

ピュア

「純愛」という言葉が一時期流行りましたね。

私もその頃、韓流ドラマにはまって、ワクワクドキドキしていました。

ある時期から、異性に対してドキドキしたりワクワクしたりすることが皆無となりました。

愛という言葉もなぜかむなしく感じるようになりました。

寂しい気もしますが、純粋に相手のことを思いやると言うことに対しては、純度は上がってきているような気がします。

 

私は、純粋さが好きです。

純粋さは、経験では買えません。

純粋さこそが魂の強さなのではないかと思うこともあります。

愛と正義を語るのはむなしいことですが、あえていうならば、

純粋にその人のことを思うことが愛なのではないでしょうか。

純粋に人を生かそうとすることが正義なのではないでしょうか。

法律に従うことを正義と呼びたくありません。

正義という言葉もむなしいのですが、あえて使っています。

よくいわれるような「テロとの闘い」が正義でもなく、

「不倫を糾弾すること」が正義でもないのです。

テロや不倫を擁護するわけではありませんが、

抑圧された魂が抑圧を跳ね除けて起こす行動がテロや不倫だとしたならば、

それもまた純粋さを取り戻そうとする魂の働きなのではないかと思います。

 

知識の豊富さをひけらかす人がいます。

知識が豊富でも、最終的にそれを行動に移すことができなければ、意味がありません。

知識は人を生かすためのものであって、自己満足のためや人を支配するために利用しているだけでは、本当にむなしいことです。

まして、知的な言葉で人をごまかす人は論外です。

 

起業するにしても、自分の生き方を貫くにしても、行動する勇気が必要です。

人を愛するといっても、愛を告白する勇気が必要ですし、愛する人を守る勇気が必要です。

でも、勇気という言葉もなぜかむなしい感じがします。

純粋さに基づく愛と勇気と正義の三位一体を体現できる人は最強の人です。

でも、おそらくそんな人は探しても見つからないでしょう。

 

世の中は絶望しかありません。

真剣に生きれば生きるほど絶望しかないのです。

しかし絶望の中でますます純度が上がっていくような気がします。

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