日記

絶対孤独

「絶対孤独」は現代文明の宿痾です。

(「絶対孤独」は私の造語です。誰と居ようが何をしようが解決できない孤独のことです)

生命の交流がなされているならば、孤独を感じることはありません。

「天才の孤独」と言われるような、自分とレベルが合う人がいないという孤独はありますが、それも自分と似たレベルの人を探せば、必ず見つかるもので、通じ合う人が1人だけでもいれば孤独に陥ることはありません。

しかし、世の中には「絶対孤独」を感じて、絶望に陥り、死を選ぶか、別なもので孤独を紛らわせるしかない人たちが、少なからず存在します。そこには、「あなた」と「私」、あるいは「私たち」は存在しません。常に「私」独りだけなのです。

 

17歳までの私がそうでした。

人と一緒にいても孤独なのです。たとえそれが恋人であろうが、趣味が同じ友人であろうが、部活の仲間であろうが、一緒にいても常に独りであり、常に孤独なのです。

生命の交流をしたくても、交流する能力、機能が自分の中にないのです。

卵の殻を破って外に出たいのに、卵を突くくちばしがない雛のようなものです。

小さい頃から、創造性の芽を摘まれた、他人のレールの上を歩かされたというだけではなく、同じ課題を抱えている親の子供であるという宿命を背負って生まれてきているのです。

 

「絶対孤独」を抱えている人は、それと向かい合って解決の方法を見出そうと身もだえするか、学歴とか地位とか財産とか、他の人が認めてくれるものを手に入れて、孤独を誤魔化しながら生きていくか、人生をあきらめて生きていくか、それもできなければ引きこもるか、最悪の場合死を選ぶしかないのです。

17歳の私は、自分の課題と真正面から向き合い、超えて行く道を選びました。誰も教えてくれる人はいません。自分で探究し、見つけ出して、自分で自分を産み出し、自分自身を育て直すしかありません。自分が自分の創造主となるのです。結婚する前までに、個人としてやるべきことは全てやったというレベルまでなんとか到達し、生命の交流ができる機能を最低限回復した状態で、妻と出会いました。その後、共に家系の問題に取り組んでいくことになるのですが、全ての課題を乗り越えたのは最近の話しです。40年近くかかってしまいました。何段階もの階段を昇りつめて、ようやくここにたどり着きました。

 

私がたどってきた道は、他の人が同じようにたどれる道ではありませんし、ノウハウを教えてできるようなものではありません。ただ乗り越えてきた実体としての私に出会い、私に触れることは可能です。私に触れることで、解決の糸口が見出されます。卵の殻を割るのは、各自の責任だとしても、固い卵の殻にひびを入れてあげることくらいは出来ます。

 

文明が進めば進むほど、便利になればなるほど、「絶対孤独」は人々を蝕んでいきます。「孤独」な人々は繋がりを求めようとします。しかし、繋がったとしても、思うように生命の交流ができず、ますます「絶対孤独」の蟻地獄から這い上がることは出来ません。「絶対孤独」は現代という時代が産み出した社会問題なのです。

 

「絶対孤独」まではいかなくても、理由はわからないけど、何となく行き詰まりを感じているという方は多いのではないでしょうか。それは個人の問題ではありますが、社会全体の問題でもあります。自分を責めてみても始まりません。全て自己責任という今の風潮には疑問を感じます。

社会の問題ならば、社会に働きかけ、社会変革をすれば解決するのでしょうか。社会のシステムを変えてみたところで、根本的な解決にはなりません。

では、自分の意識を変えればいいのでしょうか。しかし、そう簡単に意識は変わりません。

私の個人的な考えではありますが、身体から入るアプローチが一番有効だと思います。身体は正直です。身体は嘘をつきません。

私の肌に触れることで、お客様の身体に変化が起きます。身体と身体は情報を交換しています。私に触れることで、身体が目覚める、或はスイッチが入るという感覚でとらえていただいてもいいでしょう。本当にそうなのかは分かりませんが、今まで、多くの方が私の施術を通して、何らかの変化を体験しているのは事実です。

 

自分だけの力では行き詰まりを感じていて、その状態を突破したいと願っている人がいらっしゃれば、私の施術を受けてみませんか?

あなたを変えるきっかけになるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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