無意味な人生は豊かである

人生もっとわがままでいいし、自分勝手でいいのです。わがままは私のままということで、ありのままの私でいいということ、自分勝手は自分が勝つ方法。生きづらさの正体は、他人の目を気にしすぎること、意味や目的を求めすぎることです。人生を遊びととらえると、生き生きとした自分の主観に基づいた生が始まります。どうでもいいことは放っておいて、もっと自分を大切にしませんか。

私たちはいつから、こんなにも他人の目を気にして生きるようになったのでしょう。SNSの「いいね」の数で、今日の自分の価値を測ってみたり。他人の人生と比較して、自分の平凡を恥じたり。 表情や言葉を選びすぎて、本当の声がどこかに消えていく。まるで、自分という存在が「他人の目にどう映るか」でしか感じ取れない。そんな、他者視線の中だけで成立しているような人生を、果たして「自分の人生」と呼べるのでしょうか。

自然界の植物や動物たちは、もっと自由です。花は誰に見られなくても、咲きたいときに咲くし、鳥は誰に褒められなくても、歌いたいときに歌います。そこには自己肯定も承認欲求もありません。ただ、あるがままの命がそこにあるだけです。自然は、皆が自分勝手に生きながら、全体として調和がとれています。

人間だけが、「評価されるために」生きています。「役に立つこと」しかやっちゃいけない空気があります。「意味がないけど好きなこと」をもっとやってもいいのではないですか。「意味があること」しか時間を使ってはいけないような空気。その空気の正体は何なのでしょう。

広告は「足りないあなた」に商品を売りつけ、 教育は「ダメなあなた」に努力を課し、仕事は「無能なあなた」に無駄な忙しさを与えます。そして、社会は「普通のあなた」に沈黙を強いるのです。何か足りないと思わされているのも、自分と違う自分になりたいと願うのも、人の役に立たなければ価値がないと思わされているのもすべて社会的洗脳です。本当に必要なものなんて、実はそんなに多くありません。でも私たちは、「もっと、もっと」と煽られ続けて、必要のない物を買い、意味のない仕事を増やし、自分自身を安売りし、自分でないものになろうとしています。

何のために?

誰かに「すごいね」と言われたいがために。
誰かにマウントされないために。
見下されないように、忘れられないように。

だけど、もうそんなくだらない生き方はやめませんか。

人生は遊びです。遊びには意味も目的もありません。「何のためでもない」ことにこそ、命は輝くのです。

心が動くことに理由はいらない。
好きなことに意味はいらない。
ただ、楽しいからやる。やってみたいからやる。
それだけで、充分。

植物のように。動物のように。自分勝手に、わがままに、主観的に生きてみたっていいのではないですか。それでこそ、命が調和を取り戻します。社会のために自分を殺すんじゃなく、自分を生きることで、社会が整っていくという道があるのです。

ちゃんと生きなくとも遊ぶように生きることはできます。

今日を無駄にする勇気。
意味なんてどうでもいいという自由。
誰にも見せない、自分だけの笑顔。

そんな時間こそが、私たちの魂を取り戻してくれるのだと思います。

これらの内容は多くの人たちにとってはトンデモ話しにうつるかもしれません。でも一度考えてみてください。今の生き方で、本当に自由を感じていますか。満足していますか。もしそうでないならもっと肩の力を抜いて、無意味なことをしてみませんか?それが、ほんとうの「生きる」ってことかもしれませんから。

当サロンはリラクゼーションサロンです。がちがちに固まった皆様の頭と心と体をとろとろに溶きほぐし、既成概念も社会的洗脳もすべて洗い流して、本来の皆様の姿を取り戻すためのお手伝いをさせていただいています。でもそれは目的や使命というものではなく、やりたいからやっているだけです。

-サロン, 日記