やさしさと味わい深さ

言葉が巧みで、演技力があり、人に良く見せるのが上手な人。頭の回転が速く、処理能力が高く、技術に優れ、自己アピールが上手な人。そうした人たちは、一般的には「できる人」「やり手」と呼ばれ、社会の中で重宝され、注目される存在です。彼らには人を引きつける華やかな魅力があり、確かに目を惹きます。

けれども、世の中にはもう一つのタイプの魅力があります。饒舌でもなく、自己主張が強いわけでもない。でも、なぜか目が離せない。言葉では説明できないけれど、「この人、ただものじゃない」と思わせるような、凄みや深み、気品、香り、味わいを持った人です。外側の装飾ではなく、内側から静かに立ち上ってくるようなその魅力は、一朝一夕で身につくものではありません。

多くの人は、社交的で人間関係のスキルに長けた人を羨み、賞賛します。しかし、人生を重ねていく中で、「それだけでは満たされない」と感じる人も出てきます。もっと深いところで、真のやさしさや温もり、味わい深さに惹かれるようになるのです。そうした魅力は、人生そのものから滲み出てくるのではないでしょうか。

その奥深い魅力は、言い換えれば“生きざま”から生まれるものです。不器用でも構わない。遠回りしてもいい。真正面から人生と向き合い、一つひとつの試練を乗り越えてきた人の体験は、やがて香り立つような魅力となって周囲に伝わります。経験の重なりが、まるで時間をかけて熟成されたワインのように、人としての深みとなるのです。

私自身、10代の頃に自分自身と深く向き合うことを決意しました。社会の期待や親の価値観に従うのではなく、自分の本当の声に耳を澄ませ、自分の人生を自分の手で切り拓いてきました。その過程では、数え切れない誤解や否定に晒され、時には酷い扱いを受けたこともありました。

でも、そんな中でも、私は自分を見失わず、自分を信じて歩み続けてきました。よき理解者やよきパートナーと出会い、共に支え合い、乗り越えてきた日々が、今の私を形づくっています。だからこそ、今この瞬間に「自分の人生に悔いはない」と胸を張って言えるのです。人生のすべてが、私という存在の中に、しっかりと実を結んでいます。

人は、過去をただ背負って生きているのではありません。過去のすべては、今この瞬間の中に織り込まれ、生き続けています。哲学的に言えばそれは「持続空間」、スピリチュアルな言葉でいえば「霊的空間」と言えるかもしれません。今ここにある自分には、これまでのすべての経験、感情、気づきが凝縮されています。「今ここ」はこの瞬間の今、目の前に見えているここだけではありません。過去の記憶と体験がすべて含まれた「今」であり、過去体験したいろんな場所、はぐくんでくれた自然や環境すべてトータルしてある「ここ」なのです。そしてそれらは発酵し、香ばしい香りとして放たれるのです。

つらく苦しい体験、心が震えるほど嬉しかった体験、気持ちよさに満たされた体験──そうした体験を真剣に、深く味わい尽くした人だけが到達できる、特別な感覚があります。だからこそ、人の痛みに寄り添えることが自然にできるのです。痛みを知っているからこそ、人にやさしくなれるのです。人間的な思いやりや配慮は表面的なやさしさですが、その本質は、その人の存在そのものがやさしいかどうかが問われるのです。

このサロンは、まだ自分の本質に出会えていないと感じる人や、この社会にどこか違和感を抱いている人にこそ、来ていただきたい場所です。世の中には上手なセラピスト、接客が丁寧で洗練されたサロンはたくさんあります。そういった視点から見れば、私たちは「たいしたことのない」存在に見えるかもしれません。

でも、私たちは他にはない“何か”を持っています。それは、経験と人生から滲み出る、目には見えないけれど確かに感じられる何かです。本物を求める方には、きっとそれが伝わるはずだと信じています。毎日施術をしながら、私はその香りを、そっと感じ取ってもらえたら…と願い続けています。

-サロン, 日記