独りでいる時間

最近独りででいる時間が多くなりました。独りでいることで自分を見つめることができたり、自分の身体をケアできたり、自分の思索を深めることができます。自分が満たされることで、そのエネルギーを他の人と分かちあうことができます。

若い頃は独りでいると孤独を感じました。自分の不足感を補うために、他人から気に入られようと努力したり、社会に適応出来るよういろいろなスキルを身に着けたり、もっと成長すれば孤独から抜けられるのではないかと様々な知識を詰め込んだり、自分でないものになろうとして必死に努力をしていました。でも足りないものを追い求めている限り、孤独は解消されないことに気づきました。

孤独と独りあること=単独性は全く別なものであるということを今回は皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

孤独とは、「欠けている」感覚からくる心の状態です。私たちは孤独を感じるとき、何かが足りない、誰かが必要だと感じます。その足りなさを埋めようとして人を求めるとき、それは「奪う愛」になります。相手に期待し、相手に依存し、相手によって自分の穴を埋めようとするのです。そのような愛には、つねに不安がつきまとい、相手の存在がなければ自分は空っぽになってしまうという恐れが生まれます。孤独は、やがて失望と傷となって心に残ります。それは否定的なエネルギーであり、時に身体にも悪影響を及ぼします。事実、孤独が原因で生きる力を失っていく人は、他のどの病気よりも多いとも言われています。

では、「単独性」はどうでしょうか? それは孤独とはまったく異なる次元の体験です。単独性は、「満ちている」状態から自然に生まれます。自分の内側にある豊かさや静けさを、自分自身で感じられている状態です。そこには足りないものは何もなく、誰かに埋めてもらう必要もない。だからこそ、誰かと出会うときには、奪うのではなく「与える愛」として関われるのです。与える愛とは、満ちた心から自然とあふれ出るもの。他者といることで増幅される喜びであって、欠如を埋めるための必死の行為ではありません。

単独性とは、自分の内面と向き合う静かな時間のことでもあります。その時間は、自己理解と自己愛につながります。私たちが本当に愛を知るためには、まず自分を愛することから始めなければなりません。自分の身体に気づき、丁寧にケアすること。日々の食事を味わい、睡眠を大切にし、性の欲求を自然なものとして受け入れ、適切に満たしてあげること――それらはすべて、自分を慈しむ行為です。

誰かを愛する前に、自分の心と身体を愛しているでしょうか?
自分の欲求を無視して、他者にばかり愛を求めていないでしょうか?

自分自身に十分なスペースと時間を与えることで、私たちは過不足なく「満たされた自分」として存在できるようになります。そのとき、誰かとの関係もまったく違ったものになります。愛は所有や依存ではなく、共に響き合い、分かち合う喜びへと変わるのです。

愛とは、自己統合の体験でもあります。誰かと共にあることで、自分という存在がより鮮明になり、自分の内側にある光を確認できるようになります。そして、真に愛することができる人は、「独りであること」の美しさもまた理解しています。愛する者たちは、互いに「独りになるスペース」を与え合うことができます。それは信頼に基づいた自由であり、互いの単独性を尊重することで、関係はさらに成熟していきます。

独りでいる時間は、私たちのエネルギーを蓄積させる貴重なときです。エネルギーは生命そのものであり、喜びであり、愛の源でもあります。そのエネルギーが満ちてくると、私たちは自然と歌い、踊り、微笑み、そして誰かに触れたくなります。満ちたエネルギーは自然と分かち合いたくなり、そのときこそ愛はもっともピュアな形となって現れます。

そしてその愛は、オーガズムへとつながります。エネルギーがあふれるとき、それは生命の歓喜となって身体に表れます。愛、喜び、ダンス、静寂、すべては一つのエネルギーの表現です。

だからこそ、まずは「独りであること」を恐れないでください。孤独を避けるのではなく、単独性の中に入っていくこと。そこにこそ、愛の源があります。自分を愛し、自分を満たし、その満ちたものを誰かと分かち合うこと――それが、奪う愛ではない、真の「与える愛」への道なのです。

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