真の癒しは絶望から

2018/03/21

ある人から、本当に癒される音楽は、ヒーリングミュージックではなく、ベートーベンやバッハであると聞きました。絶望を体験した人の作品は、人を癒す力があるのだそうです。

私は人生で何度も絶望のどん底に叩き落とされました。今もある意味、絶望の真っただ中です。そういう意味では、ヒーラーとしての素質は十分あると考えています。

今の絶望は、自分の人生に対する絶望というよりも、政治にも経済にも科学にも何の希望を見出すことができず、また、スピリチュアルな世界や精神界の存在にもそのレベルの低さにうんざりきていることから来るものです。身近な例では、TPPを推進したり、原発を再稼働させようとしたり、海外に自衛隊を派遣しようとしたり、外国及び外国人のためにお金をばらまき、本当に困っている日本人のためには何もしないという、亡国の限りを尽くす政治家とそれを支持する国民の民度の低さに絶望しています。こういうことを書くと、お前は左翼かといわれそうですが、私は日本人としての誇りを持ち、日本の素晴らしさをきちんと認識している愛国者であり、保守であると自任し、そのような活動も熱心に行ってきた人間です。本当の保守で愛国者ならば、TPPを阻止し、自国の産業を保護し、危険で有害で、テロにも会いやすい原発を撤廃し、自国の国民の健康と安全を守り、アメリカに言われるまま他国の侵略に手を貸すのではなく、自分の国を守る防衛力をしっかりと固めながら、鎖国するくらいの気構えを持たなければどうするのだと考えるのです。経済にしても、経済植民地主義であるグローバリズムに手を貸すのではなく、自国の産業を育成し、大量消費ではない、真に人のためになる経済の仕組みを日本人ならば作れると考えるのです。科学の発展は、物質中心主義を助長するばかりで、人間の幸福には役立たないということを自覚すべきです。医療と製薬会社が結びつき、患者を薬漬けにし、金儲けに突っ走り、患者そのものを見ることも触れることもせず、ただデーターだけを元にしか判断できない、能無しサイコパスばかりの医師が威張り腐っています。そういう医師や政治家や経済人を育成してきた、日本の戦後教育は、既に破たんしていることを知らなければなりません。農業も、農薬と化学肥料を大量に使い、微生物や生物を殺しまくり、ウブスナを殺し、日本の国土を汚しても何とも思わない人間ばかりになってしまいました。宗教も、洗脳と金儲けに走り、坊主は先祖を人質に取り、ぼったくり商法でギャンブルや女遊びに酔いしれています。精神界は精神界で、自分では解決できない問題を、全部人間に押し付けてくるので、いい加減にしろと言いたいです。神や神々のレベルは所詮そんなもので、目覚めた人間の方が、よっぽどレベルが高いのです。イエスキリストはよく「人の子」という言葉を使いました。神の子を卒業して人の子となるのです。

これらの戦後70年の負の遺産と闘い続けた我が家の闘いを、小説として執筆し、今年初めに出版する予定でしたが、諸事情により出版されることはありませんでした。最も絶望のどん底にいた時に、空海の直接の導きにより、密教の修行を行い、伝法灌頂を受け阿闍梨となる予定でしたが、伝法灌頂の直前、ある人から空海のメッセージが伝えられ、伝法灌頂をキャンセルし、大阿闍梨の元を離れました。大阿闍梨がロックフェラーのお抱え風水師になったからです。その大阿闍梨が闇に落ちているのを感じ取っていたので、コンタクトを取っていた空海に確認したところ、「伝法灌頂は受けるな。私が直接導く」という回答を得たのです。その後、しばらく空海からのメッセージが続き、私の勝手に描いていた空海像は崩れ、権威主義的な空海と、神仏にゴマをするような護摩焚きにうんざりきて、密教も捨ててしまいました。

親や親戚が電力会社に勤務していた影響もあって、原発推進に何の疑いも持っていませんでしたが、福島に住んでいる時に、あの東日本大震災にあい、被災し、富山の実家に避難してきました。せっかく愛してきた福島の地は汚染され、故郷を失いました。家族にも放射能の影響ではないだろうかと疑われるような身体の異変がありました。これだけの被害があったのだから、政府は科学者、技術者を総動員して、放射能の問題に取り組むものだと信じていましたが、やったことは、事実の隠ぺいでした。しかも、避難先の富山の実家から2kmしか離れていないゴミ焼却施設で、汚染がれきを焼却するという暴挙に出ました。集会では、反対意見しかでていなかったのに、住民の意見は全く無視され、汚染がれきの焼却は強硬されました。私は、今までの自分の常識をいったん全て捨てて、左翼や右翼、保守や革新といった枠組みを取っ払って、もう一度最初からいろんなことを勉強し直しました。

自分のできることからやっていくしかないので、石油やガスがストップされても生きていけるように、薪を割り、薪ストーブで暖をとりお湯を沸かし、機械を使わない農業、即ち、手植え、手刈り、天日干し、無農薬無肥料の米作りを始めました。村人からは、勝手なことをするなとか、お宅の害虫がうちの田んぼに来たらどうするのか、とかいろいろいわれましたが、何とか乗り越えて、今年3回目の稲刈りも無事終えました。その間、父と母をあの世に送りだしました。親は病院で薬漬けにされた状態で、病院のベットで死ぬことを望みませんでした。そこで、自宅に引き取り、私が介護し、毎日マッサージをしてあげ、自分の家の畑でとれた有機野菜で調理し、自然のものを食べさせ、出来る限りのことをしてあげました。親戚中が気違いのように私を総攻撃してきました。多くの殺意を感じました。父も母も、「こんなにしてもらって、生まれてきて本当によかった」といって、自宅で息を引き取りました。父の時は、普通の葬儀を行いましたが、葬儀社と僧侶の対応に疑問を感じたので、寺の檀家を抜け、母の時は自分で葬儀を行いました。私が僧侶の資格を持っていたことも幸いしました。

なんやかんやいろいろあって、今に至ってますが、世の中を良くしようと、命をかけていろんなことに取り組んできたのですが、もう理想を追求するのはやめました。皆が望むいい世の中は、所詮物質的豊かさの実現でしかないことに気がついたからです。物質文明は行き着く所まで行くしかないのです。どういうことかと言えば、これから、これ以上何かが良くなるってことはないってことです。これが、今の私の絶望感です。それでも、マッサージをしてあげて、喜ばれると、自分も本当に嬉しいし、私もやってもらった時には、極楽だって感じるので、マッサージが今の自分の支えになっているのは、事実です。実はサロンを開いたのも、自分の意志というよりも、偶然が重なってやり始めたことです。しかし、今となっては、サロンを始めて良かったと実感しています。

 

つまらない話しに、お付き合いいただきありがとうございました。

-日記, 男性セラピスト