熱を光に変える

人は何かに熱中したり、情熱を燃やしたりすることがよくあります。たとえば、夢中になれる趣味を見つけたり、誰かに恋をして心が高鳴ったり、政治や宗教に深くのめり込んで熱く議論したり──。こうした「熱い」状態にある人は、周囲からエネルギッシュで行動力のある人物として評価されることも多く、それが良いことのように思われがちです。

でも、ちょっと立ち止まってみてください。その“熱さ”は本当に健やかなエネルギーでしょうか?

私たちが熱狂しているとき、実は身体も心も強く緊張しています。まるで張りつめた糸のように。熱を帯びた機械がやがて壊れてしまうように、熱くなりすぎることは不調や偏りを引き起こす危険性があるのです。興奮した状態では周囲が見えづらくなり、自分の考えに固執したり、他者を排除してしまったりする傾向も強まります。

また、情熱というエネルギーは、多くの場合、誰かや何かに向けて発せられています。そしてその先には、所有という欲求が潜んでいることが少なくありません。たとえば、恋人や家族、仲間など、「大切だからこそ自分のものにしたい」と願ってしまう。ですが、よく考えてみてください。人は物ではありません。物は所有できますが、人はできません。

誰かを「愛している」という名目で所有しようとすれば、その人を物のように扱うことになってしまいます。結果として、相手の自由を奪い、その人の本質を壊してしまうのです。所有の愛は、一見ロマンチックなようでいて、実はとても暴力的な側面を持っているのです。

では、どうすればいいのでしょうか?

今、私たちに必要とされているのは、熱を光に変えることです。

この言葉は、古代の錬金術の思想とも重なります。錬金術とは、鉛などの卑金属を金のような貴金属へと変える秘技のことですが、それは単なる物質の変化ではなく、内面的な成長や精神的な進化を意味しています。私たちが抱える「熱」、つまり緊張や興奮、偏った情熱を、もっと穏やかで自由な「光」へと変容させる──それが大切なのです。

たとえば、燃えるような情熱を、太陽のような優しく温かな光に変える。興奮した状態から、深いリラックスと受容の状態へと移行する。これこそが、当サロンが目指している本質的な癒しです。

もちろん、これは簡単なことではありません。なぜなら、私たちはこれまで「熱」ばかりを体験してきたからです。非所有の愛、つまり誰かをコントロールせず、ただその存在を尊重して愛するという在り方は、ほとんどの人にとって未知の感覚です。でも、それは「ない」わけではありません。すでにあるのに、気づいていないだけなのです。

太陽の光が、誰か一人だけに向けられるのではなく、すべての人に等しく降り注いでいるように、本当の愛は特定の誰かに独占されるものではありません。人生には、熱情を慈しみに変えていくためのさまざまな出来事が用意されています。たとえば、苦しみや悲しみといった「心のゴミ」も、しっかりと燃やし尽くせば、そこから芳しい香りが立ちのぼるようになります。浄化されたエネルギーは、誰に向けるでもなく、自然と周囲に広がっていきます。

そんなふうに熱を光に変えたとき、あなたの愛は誰か特定の人のためではなく、すべての人へと向かう普遍的なものとなります。そして、あなたという存在そのものが、あたたかく包み込むような香りを放つようになります。その香りに惹かれて人は集まり、あなたのそばにいるだけで愛を感じるでしょう。それはもう「所有」ではありません。ただそこに在るだけで伝わる、自由な愛なのです。

もし今、あなたが何かに熱くなりすぎていて、疲れや違和感を感じているのなら、どうぞ当サロンの施術を体験してみてください。熱が静かにやわらぎ、やがて光へと変わるきっかけになるかもしれません。

-サロン, 日記