
リラクゼーションとは3~意味や目的を手放すと、緊張から解放される~
緊張から解放されるために
生きている限り、まったく緊張がない状態というのは存在しません。
私たちは日々、緊張と弛緩(ゆるみ)を繰り返しながら生きています。緊張があるからこそ、ゆるんだときの解放感を味わえるとも言えるでしょう。
しかし現代社会では、常に緊張状態が続き、ゆるむ暇もないほど忙しく働く人が少なくありません。だからこそ、
- どうすれば緊張しないで生きられるか
-
どうすれば緊張状態をゆるめられるか
この2つの視点が必要です。今回は、緊張を生む原因と、その解消のヒントをお話しします。
意味や目的へのこだわりが生む緊張
以前の私は、あらゆる出来事に意味を求めずにはいられない性格でした。
- この苦しみの意味は何か?
- 生きる意味は?
- 仕事の意味は?
- この人と出会った意味は?
人生のすべてを物語に見立て、自分を主人公に据えようとしていたのかもしれません。実際、私小説を書いたこともあります。仕事では常に目的意識を明確にし、結果を出すことにこだわっていました。
その背景には、自分の意志・感情・思考・身体に対する強いこだわりがありました。確かに「自分軸」を持てるという利点はありましたが、同時にそのこだわりは強烈な緊張を生み出していたのです。
やがて私は、意味や目的への執着を手放し、自然の流れに身をゆだねることで、少しずつ楽に生きられるようになっていきました。
手放した先にある安らぎ
意味や目的は、強い緊張を伴います。
目的を達成するまでは緊張が解けず、達成しても次の目標に向かうため、心が休まることはありません。理想像を描けば、それが実現していないこともまた緊張の原因になります。
しかし、すべての意味づけや目的、そして「自分」という感覚までも手放したとき、驚くほどの安らぎが訪れました。
苦しみ抜き、限界を超えたところで、私は自分を手放すしかなくなりました。あるがまま・なすがままにすべてを委ね、何の目的も持たず、人生を「意味のないもの」として生きてみたとき、逆に多くのものが見えてきたのです。
人生を「遊び」としてとらえる
私が提案したいのは、人生を遊びとしてとらえる視点です。
ただ「やりたいから」「楽しいから」という理由でのめり込むとき、そこには意味や目的がなくても、人生は輝きます。
「何かをやろう」とするから緊張が生まれます。行為者としての自分をいったん手放し、自然に起こることを待ってみましょう。感情も思考も、勝手に湧き上がっては過ぎ去っていくものであり、本来の自分ではありません。
私たちはそれらをただ見つめる意識です。自分でないものと同化しないことが大切です。
これは「実際に遊びなさい」という話ではありません。あくまで観点の持ち方の話です。人生を遊びのように見ることで、私たちは緊張から自由になれるのです。